浜離宮朝日ホール|朝日ホール通信

1992年オープンの室内楽専用ホール。特にピアノや繊細なアンサンブルの音色を際立たせる設計でその響きは世界でも最高の評価を受けています。


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かれる。しかも明確な筋立てがなく、若者の心は深い絶望と淡い期待の間で揺れ動き、苦悩の後にしばしの安らぎを見出したり、夢見たりもする。「この作品と向き合う上で私が大切にしていることは、この“旅”が予め計画されたものではなく、始まりがあって終わりがあるのではないということ。ステージに上がった時点で、私はまだ物語の結末を知らないのです。道中には負の感情もあれば、歓びやノスタルジーもあります。それぞれの瞬間はまるでモザイク画の一片のようで、続いていくレールの上をなぞるのではなく、点と点とを結んで旅するようなイメージでしょうか。しかも主人公が見ているのは自身の心の中の風景、つまりこれは彼の内面で繰り広げられる“旅”、いわゆる自分さがしの“旅”だと思うのです」長く厳しい“旅”の果てに若者を待ち受けているのは、第24曲〈辻音楽師〉。村はずれでライアー(手回しオルガン)を奏でるみすぼらしい老人と出会った彼は、その姿に不思議な安堵感を覚える。シューベルトが書いた音楽もどこか懐かしく、虚無感と親密感が入り交じったようなメロディであることから、この老人を“死神”のようなイメージで捉えた解釈も少なくないが……。「私は“旅”を通じて主人公から溢れ出たそれぞれの感情のモザイク片が、寄せ集まってひとつの絵を完成させたものが第23曲〈幻の太陽〉なのだと考えます。ここで描かれている淡い、一条の光が射し込んでくるようなあたたかみのある音楽は、彼が旅の目的を果たしたことを意味しています。“僕はついに自らのポジションをみつけることができた、僕の旅は終わったから次は君の番だよ”と彼は言って、次の〈辻音楽師〉の最後で“今度は君について行くから、このライアーを回してくれないか”とバトンを託しているのです。要するに『冬の旅』は決して不幸な失恋物語でも“死へと向かう旅”でもなく、ひとりの人間がこの世の抑圧から脱しようとする試みを反映した話なのだと思うのです。そうやって自分を分析して答えを導き出せば気持ちも晴れやかになります。どうか皆さんには、今回のリサイタルを聴き終わってから明るくポジティヴな心持ちで、会場である浜離宮朝日ホールを後にしていただけたら嬉しいです!」共演する岡原慎也は、国内外でドイツ歌曲や室内楽のパートナーとして精力的な活動を展開している気鋭のピアニスト。1996年のヘンシェル初来日公演では自らプロデュースも務めており、その“黄金コンビ”ぶりは日本でもすっかりお馴染みだ。「『冬の旅』を歌うため最初に組んだのが岡原さんだったので、この作品は常に彼と共にあり、一緒に成長を遂げてきました。旅の相棒であり、まさに私にとっての“ライアーまわし”そのもの(笑)。数え切れないくらい共演を重ねてきましたが、毎回驚きとトキメキを感じる相手です。再び皆さんの前で演奏できるのを心から楽しみにしています。世界中で日本の聴衆がいちばん深く『冬の旅』を理解してくれていると本当に確信しているのです」取材・文/東端哲也(音楽ライター)岡原慎也10/19(木)19:00一般¥5,800U30¥2,000共演:岡原慎也(ピアノ)シューベルト:歌曲集「冬の旅」D9113


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